逃した魚は大きい

一緒に居て落ち着くなーと感じる人と付き合ったことがほとんどないんだな私は。
一緒に居てそわそわしたりする人とばかり付き合ってきていて
私はそんな人と居ることで向上心が芽生えるので
それはそれでいいんだけど
一緒に居て落ち着く人って私にとっては友達になってしまうんだけど
そういう人と付き合ってみるというのも、よかったのかなーと今になって悔やんだり。


居なくなってから気付くありがたみは、逃した魚は大きかったということなのだろうけど
それは、生きている中で常々感じることであって
常々起こってほしくなんかないのになー
それは心苦しいことだけど、
私はプライドが高いから
あとになってから、やっぱり…なんて口が裂けても言えないし
プライドへし折るくらいなら、その苦痛に耐える方がましだと思ったりして
こんなプライドをへし折るまでの人に出会っていないのか私は。とも思う。


生きているとたくさんの選択をしていかなければならなくて
一度下した決断を曲げるということは
今の私にはどうしてもできないなぁ。
曲げるほどの熱意なんてないからね。
頭脳ではなく、脊髄で、
心ではなく、口や皮膚で、
いつの間にか自分が下していた決断を
信じるしかないなこりゃ。