教室で泣きそうになった

死んだらこの気持ちはどこへ行くの?
わたしが死ぬのがなによりも嫌なのはこういうこと
死んだら4次元に行くのかもって思ってたけど
先生とふたりきりで一時間半ほど話してたら
そんなことないかもって思えた。


普段はわたしはわたしの頭で考えてわたしの心で感じて
わたしはわたしの世界の中でしか生きていないけど
これまでずっと流れている時間という軸を
わたしが見やすい形に置き換えて
その中でわたしの一生分の時間を探してみると
どうやったって見当たらなくて
見当たらないんじゃない、小さ過ぎて見えなくて、
ということは、わたしがすること考えることは
世界に対してなんの意味ももたないんじゃないかと思う。
わたしは世界に対してどうあるべきなのかと考えると
当然のことなのに、なのに自分の無力さや非力さを痛感して、どうしようもなくなる。
わたしがわたしの世界の中にいる時は
言動のひとつひとつに重大な意味も秘密も隠れていて
喜びも悲しみもなにもかもが大きな波のようになだれ込んでくるのに。


こんなこと、もっとずっと幼い頃から何度も考えてた。
ふとした拍子にこれがわたしの頭を支配してしまう。
口に出して人に話したのははじめてのことで、
泣きそうなのをこらえることだけで精一杯だった。
泣くのをこらえるのは泣いてしまう勇気がないからなんだろうなー
泣いてしまったところで
こんなこと、誰にも受け止めてもらえるわけないのだから。